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木下家定が城主の頃。剣豪・武蔵は天守閣の妖怪退治を命じられます。
武蔵が天守三階にさしかかると、火炎が吹き降り、地震のような轟音が。ひるまず太刀に手をかけると、あたりは元の静けさに。
武蔵は構わず最上階に上り、寝ずの番をしていると、美しい姫があらわれました。姫は「城の守護神、刑部明神」を名乗り、「妖怪は恐れて退散した」と告げました。褒美として白木の箱に入った郷義弘の名刀を与え、姿を消したといいます。 |
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永正年間のこと。
城主の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを計画。怪しく思った家臣・衣笠元信は愛妾のお菊を女中として送り込みました。
お菊は鉄山家臣の町坪弾四郎に言い寄られますが、袖にしたため、腹いせを受けることに。「家宝の皿をなくした」とぬれぎぬを着せられ、殺されて庭の古井戸に投げ込まれます。
その後、夜な夜な「1枚、2枚・・・」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。 |
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羽柴秀吉が姫山に三層の天守を築いた時のこと。
石垣に使う石が不足して困っていました。そこへ、ある貧しい老婆が商売道具の石臼を差し出しました。秀吉はこの志に大変喜び、その石臼を石垣に使いました。
その話がたちまち城下に広がり、人々が競って石を寄進したため、工事が順調に進んだといわれています。
その石は現在も乾小天守北側の石垣に残っています。 |
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明治維新後、全国の城は無用の長物とされ取り壊しが進められました。
姫路城は、古来の名城として取り壊しは免れました。しかし、保存修理に手が回らず荒れるにまかせた末、競売かけられる運命に。
そんな折、姫路城のすばらしさを後世に残すべきだと立ち上がったのが、当時陸軍省第四局長代理だった中村重遠大佐。
1879年(明治12年)、正式な公文書をもって保存が決定されることとなりました。 |
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