菱の門を入ってすぐにある1400㎡の堀。もとは空堀であったが雨水がたまって、今の姿に。池田輝政が播磨・備前・淡路の三国を領したことから、この名前がつけられました。
三の丸から二の丸に通じる、城内でも最も大きな門。両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋があり、扉の内側には通路をはさんで西側(左)に門番部屋、東側(右)には馬見所と納屋がありました。
西の丸にある中書院を囲むように造られた、周囲300mもの建物。その長い廊下に並ぶ部屋には、千姫に仕えた侍女たちが住んでいました。
姫が長局より男山を拝む際に、身支度をしたり化粧直しをしたりするための休憩所でした。内部は畳を敷いた御殿のような造りです。
大天守の「東」「西」「乾(北西)」にある3つの小天守。大天守と3つの小天守が渡櫓で連結された連立式天守が現存するのは、全国でも唯一ここ姫路城だけです。
高さ14.85mの天守台(石垣)の上に建つ31.5mの大天守。標高45.6mの姫山の上に建てられているため、海抜約92mにもなります。外観は5層ですが、内部は地下1階・地上6階になっています。
昭和31年から8年をかけて実施された「昭和の大修理」で、中が腐食していたため、西の心柱の取り替えが行われました。
天守閣三階の四隅、千鳥破風の屋根裏を利用した部屋。ここに城兵をしのばせ敵を迎え撃つ工夫がされています。
正面に検死役人が座るような高い壇があり、庭には井戸もあることから、いつのまにか「腹切丸」と呼ばれるようになったと考えられています。
石垣の間につくられた小さな門で、穴門とも呼ばれます。埋門とも言われ、いざという時にはここを埋めて、敵の侵入を防ぐことができます。
兵を狙撃するために、堀や櫓に造られた穴なのです。武器の種類によって長方形や丸、三角などの形があり、装飾上の美しさも兼ね備えています。かつては、内曲輪だけでも約二千の狭間があったそうです。
姫路城の石垣の多くは、傾斜面を扇を開いた形に内側にカーブしています。これは、敵に石垣を容易によじ登らせないという狙いがうかがえます。また、下は緩やかですが上にいくほど急勾配。石垣を高く積み、石垣の内側に含まれる水分や土の圧力で崩れを防ぐこともできました。
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